管理人の独り言 好き勝手なことを書いてしまい少々反省していたら、意外にもリクエストがありました。「ブタもおだてりゃ木に登る」? ではないつもりですが、もうちょっと続けてみようかと・・・
でも、はっきり言っときます。私は言ってることとやってることが必ずしも一致しませんからね、残念っ!(^^;)

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「自由に」や「自主的に」は「勝手に」ではない
「こんなことから伝えなくてはならない時代になった」というか「自然に身に付いて当然な生活環境がなくなった」というのか。
しかし、単純に「時代の違い」「環境の違い」で済ませることには大いに抵抗を感じる。
確かにその言葉の持つ意味は異なるのだが基本的な共通点があり、それが理解出来なくとも実行出来なくとも「自分の都合のいいように理解していてはならない」ことだけは知っておかねばならない。
「苦しくなったら休む」「疲れたから終わる」に対して、おおよその指導者たちは「苦しくなっても頑張れ」「疲れても頑張れ」と言うだろう。これには大いに反感を持つ管理人であるが「苦しくなったけどあと少し」「疲れたけどもう少し」と自分が自身を叱咤激励する心を持てるようになることが何よりも大切だと知って貰いたいとは願っている。それが
「自由で自主的」な稽古であって、これこそが自らの実生活に生きてくると信じるものである。
「他人に押しつけられた頑張り」など、それから開放された日から待っているのは自分の堕落だけであろう。「自由」は「勝手」と都合のよい解釈をすることは最も楽な方法であるが何の役にも立たない。「勝手に」やるなら家で寝ている方がよっぽどいいし、例え漫画であっても読んでいれば平仮名ひとつでも活字が目に入る。
自分一人で生きているような勘違いをしないこと、自分の存在を多くの他人が支えてくれていることを一日も早く肌で理解すること。これが自分の生涯を大きく左右するのだ。
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わおぉ〜っ!
おそらくはお会いすること自体が二十年ぶり。稽古するとなると三十年以上の年月があいた先輩とお会い出来ました。「オレは先生ではない」と言いながら、みんなに「先生」にされてしまっていたのが可哀想(・・;)
お互いに職場での選手要員として数年を友に稽古に励んだ仲で、とても懐かしい思いがしましたが、その人柄に変わりなくとても嬉しい気分になったものです。
「楽しむ剣道をするところで先生などと言う存在は不要」「オレは弱いからいつまでも稽古をする」
変わってないなぁ。給料をもらって剣道していた立場同士では、一緒に道場にいても会話の機会はそんなになかったものですが、言葉などなくてもその気持ちが読めた先輩でしたから、あらためてその言葉を聞いたときとても安心したというか・・・
お会いすることは叶いませんでしたが、偶然にも驚くべき或る先輩のことも聞くことが出来ました。
「○○○って知ってるか?」「もちろん知ってますよ、少しだけ先輩です」「彼もここで稽古してて六段になってる」「えっ! 全くの素人やったやないですか!?」「正課でやってるうちに本気でやる気になってな・・・」
クックック・・・、楽しみが出来たわい。先輩の頭を叩くことが出来るなら、しばらくは稽古にお邪魔してみよう(^^)/ (もし、やられたらどうしよう)
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成果
いつも言い、いつも書いているように「剣道」そのものは人生に何の役にも立たないことだ。
ただし、自覚を元にずっと大切にしていけば役立つことは確実にある。
それは剣道に拘わらず何でも同じことなのだが「身につけるための、たゆまぬ努力」だ。
そして「身に付いた」という結果がなくてもいい。
「辛さに耐えた努力」は今後に生かされないはずがないのだ。それが「成果」である。
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「礼」その二
居合道や昔の剣術と違って、今の剣道には「相手」が欠かせない存在となった。「相手の体を借りる」ことへの礼と感謝については先に書いたとおりである。
その相手が初心者であれ子どもであれ「欠かせない存在」であることは同じなのだが、この辺に気付いている人は意外に少ないと思う。
昔ある日にふと思った。「初心者・子どもは自分のよき師匠である」ということに気付いたのである。伝える側(おこがましくも「先生」)の立場で彼らを導くとき、自分が忘れ去っていた大切なことを思い出させてくれ、気付かせてくれる、これが「師匠」でなくて何なのだ。
だから、「礼」さえ失わずにいたら、段位がどうの経験がどうので上下などないのだと思う。
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礼に始まって?
礼に終わる?
と、口では言うものの「では、どうして?」となると・・・ どう答えますか?
偉そうに口では唱えている先生方にも「アンタの礼儀はどこにあるんですか?」と聞きたくなる人もいるぐらいなのだが、これは横へ置いといてっと・・・
このホームページのどこかにも書いた記憶はあるのだが、これから頭をブン殴られるのにどうして「お願いします」なのか。叩かれて「有り難うございます」なのか。帝国陸軍の「精神注入棒」ちゃいまっせ。
「打ち合い・突合いをするのだから、こういう気持ちを持っていないと感情に走ってしまう」と、もっともらしく言う人も多いが、それならボクシングは? フェンシングは? 「日本の武道ではないから」ってか? それなら英語やフランス語でお願いしたらいい。
相手は名人の先生であれ初心者であれ、子どもであってもアンタの稽古のために大事な自分の体を貸してくれてるということを忘れてはいけない。自分のために相手の体を叩かせてもらうなどというのは、努々おろそかにできるものではないのだ。感謝の気持ちがあってこその「礼」である。(もちろん、打たせてもらうこともあるが打たれることもある。だからといってお互い様だというのでは話にならない)
打たれたら「ああ、自分のここに隙があったのか」「こういうときに隙が出来るのか」と、教えられていることに気がつき、そして感謝することを忘れてはならないのだ。それが出来ただけで十分な進歩だと思ってよい。稽古の目的は主にここにあるのである。私はそのように確信し断言する。
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ますます悪化
闘病十九年のブランクを経て、まもなく復帰から丸八年を迎えようとしている。当時、歩くのが精一杯で走ることも自転車に乗ることも出来なかったのに、よくぞこんな大きな賭に出たものだと思う。さすが初日には打突後にそのまま転倒してしまったが、二日目からは普通に出来ただけでなく誰にも打たれることもなかったのには正直なところ我ながら驚いた。
稽古後の就寝には目が冴えてなかなか眠れず大いに困ったものだが、十年余りも入退院を繰り返し、最後の退院から数ヶ月を経て、やっと「散歩ぐらいなら・・・」と言われた後の冒険だけに、もしやこのまま治ってしまうのではないかと期待してしまったほど意外な喜びを感じたのである。
いつか「調子に乗りすぎた」と書いた気がするが、まさにそのとおり。今から一年あまり前に主治医から「もうダメです」と何度目かの最後通告に「今度こそ」と前置きをされてしまった。何とそれも「早くて一年、長くて三年」と強烈なオマケがあったものだ。
そして気力で一年経過。これまでは「そんなことはない!まだやれる!」と心中での反論が出来たが、今夜「もう口答えは出来ない」と思い知った。明日からは「目標あと十年」のために、口だけの稽古参加にしてみようと決心。当人にしか分からないはずの苦渋の決断である。
私から伝え残せることは、そんなに多くもなく大きくもないが、今どき確実に珍しい「命がけの生き方」だけでも「そういうこともあるのか」と知って欲しい人たち、そして子どもたちが私の周囲にはいるのだ。剣道そのものより知って欲しいことがあるのだ。あとしばらく!
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年は明けたが・・・
昨夜、初稽古を終えて思ったこと 相変わらず体調が芳しくなく手足が自由に反応しない。「あと十年は!!」という決意(淡い希望?)を込めて、昨年末には防具一式新調したがどうなることやら・・・
チョット最近は焦り気味。それというのも「伝えたいことを伝える速度」と「体調の悪化の速度」が歩調を乱し始めたからであるが、これが実にもどかしい。
二十年、三十年前の子どもたちは輝いていた。彼らを取り巻く大人たちも、彼らを輝かせるために一所懸命に光を与えようとしていた・・・と思う。これは昨今の「環境と条件の違い」だけだけではない?!
今朝、昨夜を振り返って気付いたこと 「子どもたちよ、もっと輝こうとしなさい」「周囲の大人たちも何が最も良いのか、それぞれがもっと考えなさい」と、思ってもみたのだが・・・
あれっ?「オレって三十年前と意気込みというか熱意というか、全然違ってる」と気がついた。 手抜きをしてないか?(してる)、身をもって見せてるか?(いいや全然) こりゃあかん!
どちらも、やれば当然自分をも規制し束縛するから。自分が、やればやるほどしんどいものだ。病気・体調不良を理由に全力での接触を避けていたと反省。
さて、「みんな、覚悟はいいかぁ〜っ!」
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ついて行くって・・・
「♪♪つぅ〜いてぇ〜こいとぉも言ぃわぬぅのぉにぃ〜っ」って・・・ちょっと古いけど。
何度も言うように本当に情けないこの世界、涙が出そうなくらいに次元が低いのだ。
「教えてやってるのに・・・」 おこがましいっちゅうねん!
「何回言ったら分かる・・・」 それはアンタやっちゅうねん!
「何でオレの言うこときかん」 アンタの言うことやから!
「何でアイツについていく」 アンタみたいに、ついて来いって言わんから!
世間は広いのである。その程度の腕で威張っていては恥ずかしいし、そもそも威張るために稽古してきたのだとしたら論外だと思う。前にも書いたが「愚人ほど教えたがる」ものなのだと、もし気付いたときには顔が真っ赤になるよ・・・尤も、気付く人ではないから威張ってる。
もちろん今も存続しているのだが、私が部活のお世話をさせてもらっていたとき、県や近畿の単位で「合同稽古」なるものがよく開催された。せっかくの機会であるから、顧問たち同士の稽古もあるのだろうと準備をしていったら・・・ない! それどころか誰一人として着替えてもいないのだ。なるほど、普段から威張っているから「みんなの目の前で恥をかきたくないのか」と勘ぐってしまう(-_-;)
師匠が弟子を選ぶのではなく、弟子にこそ師匠を選ぶ権利があるのであるのだが、学校の部活ではそうもいかないから可哀想。そもそも、現代の竹刀剣道で「師匠・弟子」と言える関係は皆無だと思うけど・・・
私は「教える」という言葉を使いたくはないし、他人が私の行動をそう捉えていたとしても、自分は自分の経験から「間違いない」と見極めたことだけを「伝えているのみ」の信念を持っている。だから当然、自分の出来ないことは「伝える」ことなどできないが、それが当たり前で普通だと思う。「オレが王様だ」と威張っているために背伸びしなければならない人たちの苦労が忍ばれる出来事があった(@_@)
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「剣道部」という
王国の悲劇
「勝つ」ことへの執着だけを強要され、「それが当たり前」と受け入れてしまうことになった子どもたちは、もう王国の政治に疑問の欠片さえ抱かなくなってしまう。
そして、「王様」の独裁が成功?したとき、子どもたちの親までが王国の国民となってしまっているのだ。あるいはそれ以上の立場の場合も多い。中には「王様の右腕」とか呼ばれるのもいて「独裁国家の幹部」気取りである。
この「独裁国家」の存在が、何と子どもたちの親による支援を受けているのは端から見ると何とも奇妙な光景だ。子どもたちが気付かなければ、まず親が気付いて王様の悪政をたしなめなければならないのだが、王様と一緒になって我が子の将来を台無しにしているのである。この辺りは隣の半島の独裁国家と何ら変わりがない。
子どもたちが間違った自信、いわゆる「慢心ネタ」を与えられたのではたまったものではない。王様の慢心には大人になってからのものが多い(それも教師になり顧問となり王国の設立に成功してからのもの)のだが、大人になってからの慢心よりも子どものころに付いた慢心は深い根を張ってしまう。
経験のない、あるいは経験の少ない自信はたちまちに驕りとなっていくのだということを大人が理解し、子どもたちが道を誤らないように導いてやらなければならないのだが・・・
極端な例だが、まだ記憶に新しい「某中学校某部」の部員の自殺。自分の子どもたちとは無縁の話だとでも考えているのだろうか。
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輝け
人間が「輝く」とはどんなことだろうか。
輝くためには光が欠かせない。どんなものでも光を与えられてこそ輝けるものであり、大人の「愛情」が子どもたちに与えるその光なのだ。この辺が分かっているようで、案外分からない、また思い違いを生むものなのである。
過激な発言にとられるかも知れないが、個人的な主観では「王国」の大人達は自分を立派に見せるためにその光を自分に当ててしまっている、と私は感じている。光は自分に当てるものではない。自分に当てたら相手が見えなくなるものなのだ。
光は相手に与えなければならない
そしてまた、その責任を「王国」の首謀者のみによるものとも決めつけたくはないのである。その国に育った以上、無理もないことかも知れないが「王国の国民」たちにも自覚がないと私は思っている。
ミカンやリンゴでも木に実をつけたときには太陽の光を受けて輝きを持っている。もぎ取られるからワックスで磨かないといけないのである。木になっているときは「
生きているから」陽の光にワックスなしで輝くことが出来るのだ。(何?!呼吸してるから生きてる? 心臓が動いているから生きている? ってか・・・違うっちゅうねん!)
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なぜ怪我が多い
肘や膝を痛めたり・・・「何でこんな怪我をするの」というものが多い。たいていは「無理な体勢」や「やりすぎ」がその原因だと思う。プロ野球はじめ著名な選手が通うと、鍼灸院や整体院などがそれを真似る中高生の間に流行?する。気分は一流・・・
指導者はもちろん、大人達はもう少し考えることが必要だ。15歳ぐらいまでは体のいたるところが成長期であり、ほぼ出来上がってしまう18歳ぐらいまでに「過激の繰り返し」が良い結果を生むとは、とうてい考えられない。ところが「王国」ではそれが「当たり前の日常」なのだから驚く。その日常から、子どもたちは「
目標を目先に置いて当然」のようにされてしまい、自らも自然にそう思いこんでいるのが現状である。目先のことに目を奪われるとその先も周囲も見えないものだ。生涯を通して剣道なり何なりをしたいと思うのであれば、異常を自覚(私はそこまでやることにさえ賛成しない)したら、勇気を持って休養すべきだと思う。
「いま休んだら今度の試合に・・・」という誤った考え方が、生涯を変えてしまうことに気付かなければならない。
腹をこわしているときに目の前に置かれたご馳走・・・さてどうするか、みたいなもの。
「いま食べておかないと、今度はいつのことか分からん」と箸を持って慢性疾患となり、この先一生食べられないのが良いか、いま我慢して後日の機会を待って味わいながら食することが出来るのが良いか。
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だから・・・
自分が偉そうに指導する立場におかれたとき「思いやり」を以て、不足を埋めたいと思う。私は「年中金欠病重症患者」であるが、これには資本など要らない。思いやりは資本の要らない奉仕なのだ。
「優しい」というのは「にんべん(人)に憂(うれい)」と書く。人を憂いる気持ちなくして本当に優しい人などいるはずがない。
憂いを経験せずして人の優しさなど分からないものだ。
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どれが本当?
前にも書いたように「師匠」と「先生」は違うものだ。「先生」はやっぱり師匠より「口数」が多い。ところが厄介なことに「言葉」というものがある。まぁそれだけのせいではなかろうが、それぞれに仰ることが違うってことが多すぎる。 「表現の違い」だと思ってしまえば納得できることもあるのだが、全く正反対のことを指導され、子どもの頃の私もこれには大いに閉口したものだ。その場合は、言葉は悪いがどちらかが嘘を、もしくはいい加減なことを言っていることになるのである。
基本?! うぅ〜ん、そもそも剣道の基本って何なんだろう・・・
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自分のことも
分からない
他人の気持ちが分からないのは当たり前。こよなく愛する人のことも我が子のことも決して例外ではない。
そして、分かっているようで自分のことさえ分からない。全く見えていないのが自分のことなのだ。
人それぞれに己の舵さえとれないものだが、仮にそのことに気付くことがあってもすぐ忘れてしまうから、これは他人を理解できないことよりもはるかに始末が悪い。
子どもたちは大人の言葉をそのまま受け止めてしまうことが少なくない。だから、「何か言うときは・・・」と、心がけているつもりなのだが後になると常に反省・・・
なまじ言葉があるから、これが不自由。却って気持ちが伝わらない。先に「大人の”無言の行動”で十分」と書いたが、これも難しいのは事実。この実行が毎日の自分の課題だと思って生きようか・・・
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感動せよ
感動・感激のない人生は無意味だと思う。「剣道やってる以上は、勝って感動したい」だと?
特定のことに感動したいと思うから、本当の感動に気付かないでいる。毎日感動すべきだと思う。感動のネタは自分の周囲にもいっぱいあるのだ。
動けとも言っていないのに心臓は動いている。寝ていても動いている。そして、自分がここに生きている。夜が明ければ目を覚ますのだ。靴やズボンもすり減るのに足もお尻もすり減らない。
毎日が感動だ。感動の連続だ
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勝負!
剣和会では、とにかく「目先の勝負に拘るな」を合い言葉みたいにしているのだが・・・
「勝とうと思うな、負けるとも思うな」という教えがある。初心者であっても大人には言葉の意味を理解してもらえるし、子どもたちにとっては理解しにくい言葉だが、いつかは分かるところまでは成長してくれる。
子どもたちに理解させようなどと思わなくてよい。
大人の「無言の行動」で十分
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こんなページに
リクエスト!?
暇なときに、何かホームページの更新をしておこうと思ったがネタがない。でも、いったん作ったらずっとそのままというものにはしたくなかった。かといって、極力は勝負に拘ることを避けようという会の主旨から外れることは出来るはずもないし・・・
苦し紛れ?に「更新」だけを目的に書き始めた、無責任な独り言なのに支持者がいてくれたとは驚きだ。
くれぐれもお間違いのないように・・・ 本当に単なるわがまま極まりない一人のオッサンが支離滅裂に思ったことを書いているだけ。あんまり持ち上げたりすると「大変なことになりますよぉ〜っ」
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壁は刀掛けか?
必ずと言って良いほど、どこの稽古に行っても壁に竹刀を立てかけている。これは何故?
竹刀の操作に関する扱いについては帯刀から構えその他に、うるさいほど指導している「先生方」までがこれをやるのだが、それを見た瞬間からその「先生」を「先生」と呼ぶのが馬鹿らしくなってくる。すぐ近くで稽古してるし、そうでなくても何かの拍子でも簡単に倒れてしまう。竹刀が床に倒れても壊れはしないが「剣士」としてはすこぶる行儀が悪い。刀だったら鞘が痛んだりでそうはいかない。これを「武士の魂」などと言い「竹刀をまたぐな!」と子どもたちに曰うのだからチャンチャラおかしい。
稽古時間の正座中は作法どおり膝の横に置き、席を立つなら帯刀しているべきではないのか。刀ほど拘る必要もないと思うから、他の妨げにさえならなければ外した籠手や面とともに置いて立っても支障はあるまい。ローカル試合など待機場所が十分に用意されていないときなど「壁から倒れる竹刀」や「またがれる竹刀」は見ていても気になって仕方ない。出来るだけ妨げにならないように壁に沿って横に置いてもだいぶ違うと思うのだが・・・
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最近、よく夢を見る
私は頭が枕に着くまでに眠ってしまう子どもだった。今でも何故かそれだけは変わらない。そして、夢などまず見ることはなかったと言ってよい。
いま見る夢というのは、やはりここでのネタらしく剣道なのだがその内容が気に入らない。ある時期、私は剣道だけして給料をもらっていたことがあり、見るのは「その場にいる」「今の私」という夢なのだ。
体調を悪くしてからついた習慣で、私は不調を感じたらときを選ばず寝ることにしている。そんな「体調不良」のときに限って見るのがこの内容の夢なのである。これが精神衛生上たまったものではない。試合だけの要員として給料をもらって剣道をしているのに、そこにいるのは手足が自由に反応しない「今の私」である。感覚的には反応している五体なのだが、その反応が動作につながらない。「打てない」「打たれる」の繰り返し、もう辞めてしまいたいのだが誰の視野にも私は入っていないようなのだ。
目覚めるたびに夢の原因を考えるのだが分かるはずもない。そして、自分で言い聞かせてみる。「そのときの稽古が不足していた後悔なのだ」
顧みれば、好きでもないのに打ち込みすぎた結果が「剣道好き」になってしまっていたと言えなくもない。それなら早くにやめるべきだったのか、どうせやるなら徹するべきだったのか・・・ 後者だったと昨今は思う。今ならこれを断言できる。
でも、こういう反省を理解してくれることの出来る環境にある人は、きっと少ないのだろう。
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とてもしんどい・・・
しかし、本望
この一年余り、特に今年に入ってからは動くことがとても辛い。梅雨時以降はもう最悪の状態が続いている。稽古から帰って風呂場まで行くのはいいのだが、体を洗うことも出来ず座ったままでシャワーを掛け流しているだけで、そこから先に進めないのである。
「散歩するぐらいの運動ならよいだろう」と主治医から許可されたのが十二年前、「ゴルフぐらいならいいかな」とは八年前。生憎、敵国競技には興味もなく「たとえ死んでも覚悟の上」と剣道に復帰したのだが、不思議なことに二十年近いブランクも感じることなく、その日から自然に流れに乗ってしまったのには我ながら驚いたものだ。五年間ぐらいは余程の手抜きでもしない限り打たれることもなく、そのせいで「ちょっと調子に乗りすぎてやりすぎたかな」とも感じ、反省もする昨今なのだが、もしかしたらそのお陰でこの八年を生きることが出来たのかも知れない、とも思っている。
現状ははっきりとした自覚症状があるほどであるから、もちろん主治医はデータを見て絶句するのも当然の成り行きである。
しかし、「生きているのが不思議」と言われた状態から、既に二十年もの長い「延長戦」の機会を与えられ今日に至った現実を顧みれば、この八年は稽古に対する感謝の念に堪えないものだ。
「生きた」のではなく「生かされた」と思っている。もちろん、私を「生かせてくれた」ものといえば他でもない。新たに得た剣の友、出会った愛おしい人たちなのである。
自力で風呂にも入れないほどに衰えた我が身でも稽古が出来る、言葉では表すことの出来ない現実なのだが、この喜びをこの生あるうちに子どもたちへ伝えたいものだ。

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