管理人の独り言 別に他意があるわけではありません  何か変ではないかと自分自身が感じたこと、ふと思ったことなど、自分自身の単なる独り言に過ぎませんのでお見逃しを・・・

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それって変だと思う
今日、あるところの稽古に参加させてもらった。終了後、指導者が子どもたちのお迎えに来た保護者を集めて「話があります」となったので、私は遠慮してその場を離れようとしたのですが、まさか走り去るわけにもいかず歩いて離れつつあると・・・(「聞こう」としたのではなくあくまで「聞こえた」だけです)
「先日はまことに申しわけありませんでした。あれもこれも私の指導力不足でして本当に申し訳なく思っています」
一時間ほど前に本人の口から聞いた「先日の何とか大会に出場して勝てなかったこと」についてらしい。考え方は色々あるに違いないけれども、これって何? 聞くところによると五十ほどの道場から参加があったらしいけど。みんな何のための試合だと考えているのでしょうか? ちょっと悲しい思いがした。
「果たし合い」ではなく「試し合い」ですが、この違いさえ分かっていないのかと・・・
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普通は剣道で
メシは食えんと思う
「職業剣道家」ってはっきり言って死語ですが、私の若かりし頃の先生に二人おられました。うちお一人はまだまだご健在で、相変わらず毎日稽古に明け暮れておられます。二十六年も教えを請いながら「切り返し」を受けて頂いたときの面にしか、私の竹刀が先生に触れた記憶はありません。この先生の元で稽古をして悟ったのが、先の「気付かせてくれるのが師匠、伝えるのが先生」だということでした。私にとっては本当に「師匠」なのですが、長い期間稽古をつけて頂きながら何一つとして身につけることが出来なかったが故に、どちらも呼ばせて頂くにはおこがましい思いがしています。
恥ずかしいのですが、私にも中学や高校の監督を引き受けていた時代があります。私からの条件は「無報酬であること」でした。だって、偉そうに「指導者」「先生」「監督」って呼ばれるんですよ。「全日本覇者でもないのに・・・」そんな大それたこと、風呂敷か何かで顔を隠していたい気分ですからね。
その間、彼らには毎日言ってました。「剣道でメシは食えん!」「学業や家庭そして
自分自身の健康を犠牲にしてまで頑張るな」って。頑張ったら必ず息切れするものですし、息切れは必ず大切な何かを犠牲にするものなのです。
今や部活にまで口を挟む保護者や地域道場の先生にこれを言わなければならない時代になっているのかも知れませんね。
親には「剣道でメシ食うわけないんやから、そこまでやらせるな!」
先生には「アンタはそんなに立派なんか?」(立派な人ももちろんいますよ、でも「条件」ってものが・・・)
* 少々語弊があり過激な感もある独り言でした・・・
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突然変わることは
あるものだと・・・
三年生になって最後の大会でのこと。やっぱり最後のそのときになっても私は補欠にもなれていなかったのです。が、出場予定の選手に何かがあって補欠にも何かがあった。何だったのかは全く記憶にないし、それはどうでもいい。
「お前、出てみるか?」恥ずかしながら、このときやっと声がかかったのです。「欠員よりいいか」と思われていたのでしょうかね。そりゃ、残ってるのが私一人ですから・・・
で、一回戦の対戦相手はというと「おっ、おいっ!優勝候補やないか!」周囲の声は「そうでなくてもどうせ負ける」に聞こえましたね(ひがみか)。さて、主審の「始め!」の声を聞いたときに気が付いた。「あ、おれ何したらええんやろ・・・」
「始め!」から即時打たれていたら一振りで打たれたのは間違いないと思う。ところが、余裕綽々の優勝候補より何をやったらいいのか分からない故の「やけくそ」の決断の方が一瞬早かったようで、「ボッコ〜ンッ」という大きな音をたてて私の片手横面が・・・(ひぇ〜っ! 何すんねん) 二本目、優勝候補くんもマジになって「メェ〜ン!」すると「ボコンッ」と再び鈍い音をたてて私の竹刀が彼の頭を・・・(何でこっちが先に打てたのか分からんまま) 「二振りで二本やでぇ〜」のどよめきを聞いた。状況が飲み込めないまま、何故かその後も慌ただしく勝ち進んだのですが「準決勝やぞ」の声を聞いたとたん、普通の自分に戻ってしまったのでした。簡単に(たぶん二振りで)負けてしまった。
オマケみたいながら試合に出してもらっただけで目標は達成できたも同然だったのに、この日を境に「意地でやる」必要を感じなくなったのは私の転機だったと思います。
その頃の私みたいな理由で「辞めたい」と思っている人がいたら、あなたにも
いつか来る「転機」をもう少し待ってみませんか?
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嫌いだったのに
私自身、高校時代は毎日辞めたいと思っていたし実際何度も顧問の先生に退部を申し出たものです。いつまで経っても補欠の補欠で「おれ、何やってるんやろ・・・」と・・・やっぱり、普通は嫌になるわなぁ。で、一応顧問の先生も引き留めるけども、どう考えても心情がこもっていない。「取り敢えず・・・」って感じ。何度目かのそのとき思いましたね。「よぉ〜し、そこまで露骨にどうでもいい存在にされるなら辞めんぞ!」「試合に出してもらえるまで続けたるわい!」
と言いながら、毎朝五時に出て夜の十時過ぎて帰る生活に後悔したことも度々。もちろん登校前の稽古、下校後の稽古でですよ。
何が人生を変えるか分かりません。嫌で仕方がなかったのに「剣道の先生って思いやりがないなぁ」と思ったとたんに
「意地」が「嫌い」を押しのけてしまったのでした。それに「やり始めたのはおれやないか」と。
何を言いたいのかというと「同じようなこと」を思って「辞めたい」と思っているあなたの参考になれば・・・という程度。
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剣道が好きになれない理由
「臭い」「汚い」「しんどい」・・・!? スポーツだけでなく、何でも一所懸命やったら「しんどい」のは当たり前。「臭い」「汚い」はアンタの手入れが悪いだけ! そんな言い訳いらんから、はっきり言ってあげなさい。
「他にしたいことがある」「先生が嫌い」がほとんどか?!
かくいう私も未だに剣道は好きには慣れない。いや「剣道は・・・」というと語弊があるか。やってるときはそれなりに楽しいときもあるし、しばらく稽古がないと落ち着かないこともある。う〜ん、何が嫌いかというとやっぱりこの世界の体質かなぁ・・・(もちろん全部がそうであるとは言いません)
こんな人は絶対に多いと思う。
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好きでないのにどうして?
地域の剣道クラブに通っている子どもが、中学生になったのを幸いに「学校の部活にはいること」でこの世界から脱出成功!
中学の剣道部にいた生徒が三年生の後半になって「引退」と称して、やっと念願の自由の身になれた・・・ なんで? そんなに嫌だったのなら、そして他にやりたいことがあったのなら、そのときまで我慢せずに辞めたらいいし、やりたいことをやったらいいのに・・・。「剣道がしんどいから嫌だ」というなら何をやっても同じことだと思うので、これは別としても六年生まであるいは三年生まで待つ(待たざるを得ない)のにはどのような理由があるのでしょうか?
剣道を始めた理由。色々あるのは当然ですが、意外に親も先生もそのことを理解できていないというか、完全にいいように誤解していることもあるのです。「ここに入会(入部)したのだから、この子はやる気十分!」「だから教えてやっている」など、
思い上がりも甚だしい(と、私は思う)。

子どもは子どもなりに大人の目の色を観ている場合もあるわけで、見ていて哀れなのは「僕が剣道すればお父さんもお母さんも喜ぶみたいだから・・・」と子どもが気遣い「さすがうちの子、お父さんの姿を見ていてすっかりやる気になって・・・」だと。ええ加減にせんかいな・・・ 子どもの方が大人ですが、そこはやはり子ども。「負担の大きい親孝行?」には限界がある。そうとも知らず「必死?の声援?」を送る人になっていませんか・・・
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「体罰」
体罰などもその是非が問われる出来事が頻繁に起こっています。その是非を目くじら立ててここで論議するつもりはありません。私は「先生」に「見極め」を求めたいのです。
「この子のためにこの子の親同様、またはそれ以上にこの子のことを思っての行動なのですか?」
何よりも「この子から見て、あなたとの
信頼関係が出来ていると確信があるのですか?」
何気なく?自然に?口癖?のように出た言動が、多くの子どもたちの将来にどのような影響を与えることになるのか、考えてみたことがあるのでしょうか・・・?
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「ことば」
漢字で書きなさい!「言葉」? はい、正解! では心で書きなさい! 「???」 私が与える正解は「言刃」です。
この数十年、ずっと気になっているのですが少年剣道の「先生」や学校クラブ活動の「先生」から子どもたちに向けて発せられる「言葉」に冷や汗が出る思いをすることがあります。「バカ!」この一言で人間を殺してしまうことさえ出来るのですが、「先生」と呼ばれる人の口から、いとも簡単に「言刃」が連発されるのは一体どういうことなのでしょうか?
試合会場ではあちこちで「言刃」が飛び交い、私は
それらの道場や剣道部を「王国」と呼んでいます。子どもたちの人権どころか意思さえも表すことが許されない、まさにどこかの将軍様の国家同然だと思えるからです。
体に受けた傷は致命傷でない限りいずれは治ります。心に受けた傷には付ける薬さえもないのですが・・・
でも、「言刃」って・・・学校の書取テストにこう書いたら思いっきり×ですよ。
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「先生」
って・・・あんまり呼ばれたくない「言い方」だと思いませんか? 呼ぶ方は別問題として・・・
そりゃぁ呼んで欲しい人もいるでしょうし、呼ばれないと不機嫌になる人もいますけどね。自分でも「そんな呼び方をされたら堪らん」と思っている人(先生)も多いと思いますよ。そもそも「三つの意味」があるでしょう? 代議士・弁護士・医師とか社会的地位で呼ばれる先生、教授とか教諭の他に花や茶の先生。これらは選ばれたり資格が必要だったりする。無資格といえば、もうひとつの先生。ほら、人をバカにして呼ぶ「先生」、さらには「大先生」
剣道で先生の「資格」とか「基準」とかあります? だったら「バカにされてる方の先生」じゃないですか?! まっぴらご免ですよ、少なくとも私はね・・・
「先生と呼ばれるほど・・・」とか言いますが、私は自分の馬鹿さもよくわきまえているつもりですから、他人にまで指摘されたくないですねぇ。だから私は、誰かが私のことを「先生」なんて持ち上げてくれたとしたら、自分の単なる「ニックネーム」として受け止めて返事したいと思っています(誰も呼ばんか)。
ところで「先生」って言葉の意味は? これ、意外に知られていません。 百人に尋ねたら九十九人は間違いなく「先に生まれた人」と答えます。それなら先人はみんな「そんなに偉い人」ってことですか? 「先生」の場合はもちろん「学生」「生徒」「実習生」「練習生」とかの「生」というのは「学ぶ人」という意味があります。だから、「先に生まれた人」ではなくて「先に学んだ(学ぶ)人」なのです。教える人のことを言うのでもありません。「気付かせてくれるのが師匠、伝える(教えるではない)のが先生」と言ってよいと思います。(ちなみに、これを書いている今
「愚人は教えたがり、賢人は学びたがる」という言葉を思い出しました)
剣和会が「年長者優先」を掲げているのは、こういう意味合いから「先進は後進に伝え」「後進は先進に学ぶ」を人生の基本と考えているからなのです。
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竹刀の計量
中学校の大会へ引率に行ったときに見てしまったこと。
わずかに重量が足りずうろたえる選手に付き添っていた父親、ティッシュペーパーを濡らして竹刀の中に入れていた。そして「これでもう一回、行ってこい」だと! 私の見る限りその父親は紛れもなく剣道の未経験者であったことがせめてもの救い。でも、その裏を返せば「そうやればその場をしのげる」ってことを教えたヤツ(多分どこかの指導者)は剣道家・・・
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軽い!?
「タイミングはいいが、打ちが軽い」これってどう思われますか? 「気剣体の一致」って「強度」を含んでるの? 終いには「そんなことで人を斬れるか!」って・・・ アンタ、斬ったことあるんかいな?! 竹や藁ですが、少なくとも「据え物斬り」の稽古を積んできた自分が、叩き合いしかしていないアンタに言われたくないなぁ・・・と思ってしまいます。
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ものを大切に
その二
胴をこんな風に置いて平気な人がいますが・・・
こういう「先生」を見たとき「三年稽古するなら三年師匠を探せ」という言葉を思い出すのです。

(もちろんこの撮影は畳の上で、そっとおこなっています)
昔から稽古中はこのように置いていました。いつのころからか、籠手が広がって「面金で床を傷つける」「面金が痛む」らしくて、籠手を横にして置くように指導されています。
でも、それって間違っていませんか? そうならないように注意を払ってこそ作法ではないかと思うのです。武士が「鞘当てを避けるために刀を腰に差してはいけない」と言っているのと同じではないでしょうか?
上の画像のようになっている籠手もよく見かけます。これでは本来の目的にも用をなさないばかりか傷みも早くなってしまいます。
新品の頃から気を付けて、稽古の終わりには形を整えましょう。馴染んでしまえばその手間は必要なくなります。
終わりには「手の内」も伸ばしておきましょう。
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ものを大切に
と、少年剣道で教えている先生方は多いです。もちろんそれはいいことに違いありません。
でも自分が出来ていない人が多いのには情けない思いがしています。稽古が終わってから自分の袴を自分できちんとたたまない(というより、たためない)。剣道具も生徒に片付けさせて当たり前の顔してる部活の顧問。そんなことで「いつ点検しているのかな」と気になってしまいます。
面や竹刀をまたいで平気!? そりゃあ、またいでも痛むことはありませんが「ものを大切に」しているなら、あり得ない行為ではないのかと、つい気になってしまうのです。
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茶皮?
「手の内茶皮」甲手? 「茶色」なら、なるほど表現としては「偽り」ではありませんね。
でも「いぶし」と「薬品使用」の違いは明記して欲しいところです。 一目見たら分かるはずなのですが、これも見分けの出来ない人が多いから、一部の悪徳?業者がどんどん調子に乗っていくように思えるのですが・・・ 「クロザン」もそうですね。薬品を使っているものがどんどん増えてきています。
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曙光?
面の顎や胴の胸に用いられる飾りですが、これも業界ではこの間違った文字を使っているところが多くあります。
昔の中国に「蜀」という国があり、その国を流れる河ということで
「蜀江」と呼ばれ比類なき美しさをもって名高いものでした。これが語源と言われています。記憶が定かではありませんが、東京都内にもこの名にちなんだ「坂道」があったと思います。家康だったか家光だったか?(いい加減な記憶)が名付けたものだったはず。
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正藍染
「正藍染」を知らない人が多いから簡単に騙されているように思います。触って手に「藍色」が着いたら「正藍染」だと簡単に思いこんでしまう・・・ 困ったものです。臭いをかいでも藍の欠片もないのに。
洗濯するのに水に浸したらその水が藍色になった?! それって「藍染」ではないからですけど・・・ 「泥紺」とか「泥藍」とかいって
粗悪な染料なのです。
最近特に「武州藍」の文字が目立ちますが、これだけで私はその店を信じなくなってしまうのです。
昔、奈良には「奈良絣(かすり)」という良質なものがありましたが、一部の悪徳業者がこの「泥紺」を使った粗悪品を流通させたため、高級品の奈良絣産業が信頼を失い大きな打撃を受けたこともあるぐらいです。
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生子
「ケラ」と読みます。甲手の手首部分のことを言いますか、「ナマコ」とカタログに書いてある。売るならちょっとは知っておかないと・・・
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同じく「総手刺」
「総手刺剣道具」って・・・ 布団部分は確かに「手刺」には違いないけど、甲手頭や面の顎の飾りは機械刺ではないですか? 意外に剣道家ってこんなことも知らない人が多くて騙され?てるんでしょうね・・・
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総手刺?
嘘をついて売ってはいけません! ある販売店で「総手刺剣道着」なんてのがとんでもない安い値段で出ていたから「ちょっと見せて」
「どうですか? いいものですから一生ものですよ」
「これこれっ、仕立てがミシン刺しなのに総手刺ではないですよ」
「ああ、そうですね、半手刺です、はい」
「半手刺でもありません。裏地は確かにそうですが表地は機械刺ですよ」
「あのぉ〜先生、お名前は・・・?」
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○○作?!
販売店やインターネットオークションなど色んなところで「えぇ〜っ!?」と思うこと。
「○○作」「職人の技」などの文字が何と多いことか・・・
「○○」ってそんな職人の名前なんて聞いたことないけど? まぁ、誰にだって名前はあるのですから自分で好きな名前を付けたらいいけどねぇ〜。んで、
「職人の技」ってのも気にかかる。これって中国製の粗悪な剣道具でしょうが!? ふぅ〜ん、中国にも剣道具職人っているんですねぇ・・・

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