私たちの考え

 剣和会は、剣和会の主旨を理解し共に実行しようという方であれば、広い意味での年齢性別その他、経験など一切の制限を設けていません。これは、おおよその道場や同好会ででも表向きは同じことが言えますが、特にそれが「看板」だけであってはならないと私たちは信じています。
 故に「勝つこと」よりも「努力を続ける」ことによって人生に求められることを学び、そして伝えたいと願ってもいますが、これも当然の目的として掲げているところは多いでしょう。私たちは、これも看板倒れであってはならないと確信し、最優先課題としての実行を常に念頭に心がけ、何ごとに於いても何人であっても「伝える立場にある者は先生」であるという理念に基づいた会の運営をしています。
 それは、親が子に学ぶことがあるのと同様に、俗に言う「先生」が「子どもたち」から学ぶことも少なくないという信念を持っているからです。毎回の稽古に於いても「伝えたり学んだり」の比重にこそ違いはあれ、お互いがお互いの先生であると言うことに他なりません。

 故に「会」としての運営上の必要性から「会長」その他の役職を設けてはいますが決して特別な存在ではありませんし、高段者も通念上から「先生」と呼ばれはしていますが「単なる呼び名」としてしか受け止めてはいないのです。

 特に少年剣道に関しては、こんな私たちのやり方や考え方に共鳴し「ぜひとも我が子をここで・・・」と言う保護者の方もおられる半面、当然のことながら「こんな雰囲気では今勝つ剣道が出来ない」と言う方もおられます。もちろん「今、剣道で勝ちたい」なら、それを目的にしているところへ行っていただけばよいわけで、子どもたちに対する考え方が違うだけですから私たちはその考えも決して否定はしません。
 少年剣道について私たちが極論を用いるとするならば、剣道に強くなりたい「強い精神の持ち主」である子どもたちよりも、友達付き合いが苦手であったり、剣道はもちろん学校が嫌いな「消極的な」子どもたちへ小さな役に立つことの方が望むところなのです。

 大人は大人で、そのとき相手をしてくれるのが例え子どもであっても「自分のために向かい合ってくれる相手であること」に、また「自分の失敗や誤りに気付かせてくれること」への感謝を忘れずに、あらゆることを学べばよいのです。子どもたちは子どもたちで「自分を一人の人間として人格を認めてもらっていること」など対等のふれ合いに感謝し、いろんな生き方をしている大人の存在を知り、学べばよいのです。将来の人生に役立つ「我慢や努力」の大切さ、そして必要性を学んでくれればこれ以上のことはありません。
 目先の剣道の勝敗など、普段の我慢と努力の結果についてくるおまけに過ぎないということでしょう。

 わずかな前進を三日で遂げる人もあれば一年を要する人もありますが、それで当然ではないでしょうか。人間それぞれに得手と不得手があって普通です。ややもすれば「ささやかな努力」を否定されがちな昨今ですが、その「ささやかさ」はそれを否定している人の基準に過ぎないことに気付くべきです。
 また、努力が単なる苦痛のみに終始することも人によってはあって当然なことですが、それは自分より優れた体力や運動能力を持った人と同じノルマを課せた結果ではありませんか。昨日より今日、今日よりも明日・・・と自らの体調や体力・気力を計りながらの行動で「楽しめる努力の存在」を知ることが出来れば、生き方から変わってくるのではないでしょうか。

 「名人も人なり我も人なり」ささやかな努力でも、それを続けて一歩も前進しない人など存在するはずがありません。大人も子どもも「横一線」の関わり合いで「感謝」し続けること。「努力」し続けることに無駄はない。これが私たちの信念です。
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